薩摩隼人 その③

九州地方、わけても薩摩は、江戸時代以来衆道(少年愛)のメッカでした。明治維新によってその風潮が東京に伝わると、それまで女色に圧倒されてすっかり勢いが衰えていた男色が東京でも息を吹き返し、さらに日進日露戦役で好戦的気分が広まるに伴って、一代流行の観を呈したとか。

 

実際男色は大変な流行だったようで、、たとえば森鴎外の長男でのちに解剖学者となった森おとは明治三十三年に森家を去った書生の「小出さん」に誘われて写真やで一緒に写真を撮ったときのことをこう記しています。

 

小出さんが端然と腰をかけ私を右後に立たせて左手を小出さんの肩にかけさせた。私はうちとけた方がいいと思ってレンズの方に笑いかけた。この写真ができたのを見て小出さんは「坊ちゃん口を開いていないと美少年なのに」と機嫌が悪かった。しかし私は余り気に入られない方がいいような気がした。(「観潮楼玄関番列伝」)

 

きっと少年は男色家好みの美少年だったのでしょう。そういえば、このほぼ十年後にも、彼は鴎外を中心に開かれていた歌会のメンバーの一人で少年より五歳年上の歌人・平野万里から少年に「あなたも歌をよみませんか」と誘われたともいいます。平野の真意は、どうやら歌とは別のところにあったようで、少年は、これは自分を弟分にしようという「下心」があるに違いないと敏感に感じ取ったとか。弟分にして可愛がってやろうという魂胆が感じ取れたというのです。

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