月別アーカイブ: 2014年5月

宗次郎の死 その②

ただの一家来の、いいえ既に家来ですらなくなっていた男の情死に、川路はなぜかくも激しい哀しみをささげなければならなかったのでしょうか。「以前」といっても、宗次郎に暇をだしたのはつい昨日のこと。つまり遊女にうつつを抜かし多額の借金をかかえているとしった川路から解雇をつうこくされたその日に、宗次郎は馴染みの遊女と情死を遂げたのでした。したがって、川路にとっても奉公人たちにとっても、宗次郎の事情はさながら身内の出来事と受け止められたのでしょう。

昨日まで共に暮らしたものの非業の死。それにもまして、宗次郎が川路にとって我が子同然の家来だったことが、悲しみを特別なものにした理由だったと思われます。父母をなくし頼る兄弟もいない孤児同然の宗次郎を縁あって引き取ったのは、彼がまだ七、八歳の頃。以来子飼いの奉公人として可愛がってきただけに、川治の痛みと憤りはひとしおだったのではないでしょうか。

shinju

宗次郎の死 その①

なんと愚かな・・・。弘化四年、奈良奉行川路聖模は、突然の事件の報に接して、ため息を漏らさないではいられませんでした。前日、以前わが家来だった長沢宗次郎(川路の日記には他に惣二郎とも表記されています。要するにソウジロウ)という男が、木辻街の遊女と相対死、すなわち心中を遂げたのです。女を先に絶命させたのち自害した宗次郎は、発見された時はまだ少し息があったのですが、結局翌日中にそのわずかな息も絶えてしまったとか。

奉行として奈良に着任してから一年あまり。着任半年後に江戸に残った長男彰常が病で頓死するという大きな不幸に見舞われた川路が、そのショックからようやく立ち直ろうとした矢先に起きた元家来の不祥事でした。この日の日記に、彼は「哀しくて涙とめがたし」とその悲嘆を吐露しないではいられませんでした。川路だけではありません。妻のさと、そして下女たちだって、あまりのショックで「ろくに食事いたすものなし」ということです。

本当の「不倫」 ②

でも、不倫の語義をこれだけだと思ってしまうと・・・・。すくなくとも昭和前期より以前の文献や資料を読み解く際に大変な間違いを犯してしまうおそれがあるのです。

明治六年、祖父を殺された者が、復讐行為として相手を殺害したば場合の扱いについて論じた公文書を覗いてみると、

 

復讐ノ儀ハ擅殺ノ罪、固ヨリ赦スベカラズト雖モ、人ノ財宝妻妾ヲ奪フガ為メ謀故殺セシ者ト其刑ヲ同スルハ不倫二付、尋常謀殺ヲ以テ論ゼズ。(以下略)

 

政府がいくら敵討ちを禁じたからといって(たとえ父の敵であっても殺害することを禁じたのは、この年二月のことでした)、父の敵討ちを遂げた者をただの強姦殺人と同等に罰するのは「不倫」ではないか(刑を減軽すべきではないか)、と論じられているのです。

ところで、ここで用いられている「不倫」の意味は、「人論にはずれる」ではありません。「人論にはずれる」と解してもなんとなく意味が通じてしまうので誤解しやすいのですが、全然違うのです。

本当の「不倫」 ①

ちかごろ私は、柄にもなく日本語の乱れを憂慮しないではいられません。憂いの種の一つは「不倫」・不倫という言葉は、元来人妻や妻帯者のいけない(つまり配偶者以外との)恋愛を意味するものではなかったのに、今や不倫といえばもうそれしかないという状態なのです。

小説や週刊誌の類で使われているだけならまだしも、最近ではどうやら学術用語としても定着しつつあるようです。たとえば家族研究の案内書「AERA Mook」の中では、不倫は「家族を読み解くためのキーワード」の一つに挙げられ、「字義的」には「人倫にはずれる」といういみであるが、「婚姻外性関係の場合のみ」こう呼ばれると記されています。たしかに昨今の用例ではそのとおりであり、「広辞苑」ほか大方の国語辞典に照らしても、この「字義」は誤りとはいえないでしょう。

furin

薩摩隼人 その③

九州地方、わけても薩摩は、江戸時代以来衆道(少年愛)のメッカでした。明治維新によってその風潮が東京に伝わると、それまで女色に圧倒されてすっかり勢いが衰えていた男色が東京でも息を吹き返し、さらに日進日露戦役で好戦的気分が広まるに伴って、一代流行の観を呈したとか。

 

実際男色は大変な流行だったようで、、たとえば森鴎外の長男でのちに解剖学者となった森おとは明治三十三年に森家を去った書生の「小出さん」に誘われて写真やで一緒に写真を撮ったときのことをこう記しています。

 

小出さんが端然と腰をかけ私を右後に立たせて左手を小出さんの肩にかけさせた。私はうちとけた方がいいと思ってレンズの方に笑いかけた。この写真ができたのを見て小出さんは「坊ちゃん口を開いていないと美少年なのに」と機嫌が悪かった。しかし私は余り気に入られない方がいいような気がした。(「観潮楼玄関番列伝」)

 

きっと少年は男色家好みの美少年だったのでしょう。そういえば、このほぼ十年後にも、彼は鴎外を中心に開かれていた歌会のメンバーの一人で少年より五歳年上の歌人・平野万里から少年に「あなたも歌をよみませんか」と誘われたともいいます。平野の真意は、どうやら歌とは別のところにあったようで、少年は、これは自分を弟分にしようという「下心」があるに違いないと敏感に感じ取ったとか。弟分にして可愛がってやろうという魂胆が感じ取れたというのです。

mori