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死体に群がる見物人 ③

死体見物流行の風潮の中で、「化政厳秘録」にはこんな滑稽な出来事も記録されています。文政十二年三月二十九日、丸山という所の路傍らに男女の心中死体発見!との巷説にに、例によって見物人が殺到。ところがいざたどり着いて見ると、そこにはただ作業に疲れた草刈の男女が並んで熟睡していただけだったとか。笑ってしまうような話ですが、この話は当時の死体フィーバーを余すところなく語っているといえましょう。

異常死体に対して注がれた人々の厚い眼差し。なかでも”人気”は、心中死体でした。

再び鳥取藩の記録をひもとくと。文政五年三月十二日の明け方、草野宗玄なる者が馴染みの女性と情死を遂げたときも、「府下の人、是を伝聞て見物に行者として不絶」、鳥取城下の人々が列をを成して押しかけたとか。ちなみにこのケースは誤報ではなく正真正銘の心中で、お互いに相手を突く力が弱く死にいたらず、血まみれになって「転々悶乱」していた所に、見物人が群がったのだそうです。

死体に群がる見物人 ②

死体見物。死骸観察。というと、私たちはどうしても猟奇趣味を思い浮かべてしまいますが、当時は必ずしもそうではなかったようでして、「死体見物」はごく当然の事のように盛んに行われていました。その証拠に、鳥取藩の出来事を編年体でまとめた「鳥府厳秘録」「化政厳秘録」等の記録にも、同様の記事が登場します。とりあえずその一部をご紹介しましょう。

「鳥府厳秘録」では、享和元年三月十七日に「山伏堀に死体の赤子捨有」之、見物の人蟻集す」とありますし、同じ年にも「知頭橋の下竹蔵の前へ水死の老婦停り、見物の人両涯如」という具合です。堀に浮かんだ赤ちゃんの死体を一目見ようと、「見物の人」が押しかけたというのです。

 

死体に群がる見物人 ①

従容と死についた男女に注がれた優しい眼差し。いいえ、そうでなくても江戸時代の人々は総じて死体が大変好きだったようです。死体マニアというのではありません。死体の状態や死に至った経緯に対して、私たち想像以上に興味津々だったという意味です。尾張藩士朝日重章の日記「鸚鴾籠中記」をのぞいてみましょう。元録五年十一月七日、彼はこう書いています。

○亭午、山口六右衛門と同道して、七曲新町へ女の死骸を見物に行いしに、昨日広小路へやりしと云間、広小路へ行見るに、首の切やう先突殺して、さすがにて首をかきたる躰に見へたり。小き女なり(以下略)

藩士としての役目からでしょうか、それとも死骸の切り口を観察して武芸精進の一助とするためでしょうか。いずれにせよ彼は、死骸があると聞いて、わざわざ「見物」に出かけたのでした。

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心中は武士の手本 その④

臆せず潔く自ら命を断つ最高のお手本として彼が遭遇したのは、なんと、情痴の果てに心中死を遂げた男と女だったというのです。「これからは心中者たちに負けないように頑張ろう」、そう我が気持ちを励ましながら、切腹その他大切な場に至っても動揺しないよう日々精進しているというのです。

武士でありながら実は切腹を忘れ、しかもその恐怖を払拭するために情死した男女の潔さに学ぼうとしているとは・・・・。さすがにこの話が他に漏れ伝わったら外聞が悪いと思ったのでしょう、こおの人は、名前は決して出さぬようくれぐれも年を押した上で、川路に以上のように語ったのでした。

心中した男女に、死を恐れぬという理由で感嘆を洩らしたのは、なにも川路とこの方だけではなかったと思います。口には出さずとも、”心ある”武士の多くは同様に感じた経験があったのではないでしょうか。もちろん心中した男女に対する法の扱いは冷酷そのものでした。許されぬ恋ゆえに情死を遂げた男女の死体は取り捨てになり、かりに死にきれなかった場合でも、晒し者にされたのちに非人手下、非人頭の支配下とされる定めになっていました。そんな犯罪者に等しい男女に、にもかかわらず、どうやら彼らはひそかに喝采を浴びせていたようなのです。

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心中は武士の手本 その③

かりにも武士である私に貴殿はとんでもない質問をなさるのですね。死を前にしてどうしたら平静でいられるかなんて・・・・・。でも正直申し上げて、私だって自信はないのです。不安になると夜中に短刀をを腹に当てて練習したりしましたが、実際に腹を切る段になると、やはりもがき苦しむのではないかという不安を拭い去ることはできませんでした。なぜなら、以前目にした赤穂義士切腹の図で、義士たちのその時の顔が、みな苦痛で歪んでいるのを見たからです。従容死につくというのは、あくまでそう心がけようという理想であって、命あるかぎりは誰も死を恐れ断末魔の苦痛でもがくのは致し方ないことなのだと悟ったのでした。

 

ところが、この誇り高き武人は、ある日、自分の”悟り”が間違っていたことを思い知らされたのだそうです。一体なにがそうさせたのでしょうか。

 

ある時、わかき男女の相対死を潔くするをみて、今までのことは過てり。(中略)その時、相対死の男女にはおとるまじとおもひ究ばやすからむと悟り、その後は只其ことを不忘、大切にのぞみ道を忘るべからずとのみおもふ也。